ジョルジュ・ダンダン モリエールの時代、フランス革命(ベルばら)の百年ほど前、貴族の奴隷だった農民の中から、お金をためて自由市民に、後の資本家のはしりになる人が何人か出て来たそうですが、ダンダンさんもその一人、金が出来れば名誉が欲しいと貧乏貴族の娘を嫁にもらったのが運のつき……。
ルイ14世の宮廷でこの芝居が上演される時、貴族達は農民ダンダンの間抜けぶりに大笑いして喜んだといいますが、作者モリエールは心の中で、まともな庶民にたかる貴族どものタイハイとワルぶりを告発してあざわらっていたのかもしれません。若い妻の浮気に悩むモリエールがその苦汁を込めた作品とはいえ、300年もたった現在のどこかの国だって、庶民をしぼり上げるえらいさんのずる賢こさも、あぶない小マダムの夢も、一向にかわりばえしないわけで……
フランス文学
片山 幹生先生のブログ ──閑人手帳──より
明朗なエネルギーに満ちたモリエール劇だった。上演会場の虹企画ミニミニシアターは、大久保駅から徒歩5分ほどのところにある劇場だ。舞台の間口は6メートルほど、客席は50席くらいか。『ジョルジュ・ダンダン』の初演はヴェルサイユ宮殿での祝宴の枠組みの中で、音楽とバレエ付きで上演されたスペクタクルだったが、こうしたこじんまりした劇場での上演がむしろふさわしいように思えた。
貴族女性と結婚した裕福な農民、ジョルジュ・ダンダンが、妻に浮気された上、貴族たちにバカにされ、さんざんいたぶられるという話で、現代的な観点から読むとダンダンのいじめられかたはあまりにも理不尽で、ダンダンがかわいそうに思えてしまう。しかし三條版『じょるじゅ・だんだん』では、ダンダンは理不尽な仕打ちを受けながらも、一方的にやられたりはしない。屈辱的な謝罪を強いられても、それで凹んだりはしない。なにくそと、しぶとく意地悪な貴族たちに立ち向おうとする。『じょるじゅ・だんだん』ではダンダンだけでなく、あらゆる登場人物がしたたかで、利己的で、浅はかだ。
素朴で絵本のような味わいのある舞台美術、派手で突飛な衣装、大仰な喜劇芝居によって、架空の十七世紀パリ郊外のファンタジーを強引に出現させてしまう。一見不器用で粗く思える演出だが、第二幕の暗闇のなかのだんまり芝居の照明の加減は絶妙だったし、ミュージカル・シーンの導入のタイミング、そしてその場面の楽しさとおかしさは秀逸だった。『ジョルジュ・ダンダン』がコメディ・バレという音楽舞踊劇であったことを思い起こさせた。
伯爵夫人を演じた三條三輪の歩きは不安定で見ていてハラハラしたが、その明瞭で品格のある台詞回しは見事だった。彼女の台詞でピーンと筋が通るような感じがした。ジョルジュ・ダンダンの妻である貴族の娘、アンジェリックを演じた藍朱魅の堂々たる存在感も目を引いた。彼女が舞台に登場すると舞台がぱっと明るくなった感じがする。ゴージャスで典雅だけれど、利己的で卑小でもある貴族娘が見事に具現されていた。浮気相手の伯爵を演じた跡見梵は、浮気男のうさんくささと高貴さとがしっかりと表現されていた。アンジェリックの小間使いをクローディーヌを演じた植松りかとダンダン役の松本淳は、めりはりのある表情とジェスチャーの演技で、芝居全体をひきしめていた。
見た目の洗練とか完成度の高さは求めない、ただ戯曲の核心となる部分をなんとかして伝えたいという心意気は見て取れる。いろんな意味で破天荒で自由な舞台だった。
こんなにおおらかで、奔放な活力に満ちたモリエールは他ではちょっと見ることができないだろう。大胆な翻案は施されていたが、モリエール劇のエッセンスとメッセージはしっかりと伝える筋の通った芝居だった。
テアトロ劇評 2022、3月号
石倉和真
虹企画/ぐるうぷ・しゆらの「じょるじゅ・だんだん」(作・モリエール 訳・恒川義夫)。演出の三條三輪は主催、そしてソタンヴィール男爵夫人役で出演も兼ねている。四捨五入すると百歳になる今なお現役の演劇人であり、そして医師でもある。彼女の台詞は驚くほど明瞭で聞き取りやすい。貫禄と風格漂う無二の存在だ。演出面においても、モリエールの原作には書かれていない、後のフランス革命を予感させるシーンを組み込むなどして、古典を扱いつつも、翻案しながら、現代劇としての表現に挑んでいる様子が伺える。
モリエール劇は上演の匙加減が難しい。「ジョルジュ・ダンダン」は田舎富豪が若い妻の浮気を巡って巻き起こる喜劇だが、現代的な感覚で見ると、明らかに妻の不貞こそ責められるべきもので、主人公のダンダンは同情的な目で見られるだろう。しかしそれでは喜劇として成立しない。今回ダンダンを演じた松本淳はそのバランスを絶妙のものとして成立させることに成功していた。彼は何故か、ひどい扱いをされてもあまりかわいそうに見えない。むしろ悲惨な状況であるほど、彼のぼやきによって笑いに昇華されている。これは一つの芸だろう。跡見梵のクリタンドルも飄々としているが、どこか抜けていて愛嬌がある。妻のアンジェリック(藍朱魅)と女中のクローディーヌ(植松りか)も悪女であるが嫌みがない。
そして会場となった虹企画ミニミニシアターという空間が面白い。北新宿の住宅街にひっそりとある古いビルの中、狭い通路を抜けると40人くらいが入れるスペースと舞台がある。ある種の地下演劇感もあり、隠れ家的で怪しげな雰囲気もあるが、それが今回の作品と不思議とマッチしていた。