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心に残った一本の芝居

《モリエール師匠と出会って》
                                                    三條三輪
 
  私はモリエールを初めて真に知った日を忘れることが出来ない。五十年近く前、当時、モリエールは難しい、日本では受けない、という風評があり、事実大劇団の公演を見た人の答えもあまり芳しくなかったので、何となくモリエールを敬遠していた。ある日、前の劇団芸術劇場をやっていた時だったが、上演戯曲を探しに神田神保町古本街に出かけたものだ。サルトル全盛の時代で他の本はぞっき本のように店先に並べられていた。その中に、ふとモリエール町人貴族という文庫本を見付け丁度喜劇をやりたかったし、探しあぐねて疲れ果ててもいたので、まあこれでも読んでみるかと茶店に入った。(モリエールの中でも分かり易い町人貴族だったことが幸いしたのかもしれないが)さて読んでいくうちにきわめて平易な日常語で笑いながらの鋭い社会風刺、宮廷作家として貴族達に庶民の暗愚を嗤わせながら、その貴族達の奸悪を暴くウイット、身分の低い召使いが主人の横車を暴力でなく知恵を絞って恋人達を助ける反骨、これがフランスのエスプリというものか、しかもその風刺はそのまま現代に当てはまるではないか。「これだわ!」と思わず立ち上がって、真新しいテーブルかけにコーヒーをひっくり返して平謝り、ほうほうの体で逃げ出したものだ。その晩直ちにモリエールに押しかで弟子入りして師匠と呼ぶことにした。
  こんな面白いものが何故難しいと言われるのか。全集を買い込んでほとんど全部を読みまくった。そして、日本人にはわからないフランスの歴史や宮廷、宗教などへの当てこすりや洒落が難しくしているのではないか、それを省いたらと感じた。そして、「師匠、あなたの神髄を日本のお客様に伝えたいのです。少しのアレンジをお許し下さい」と声に出して頼んだ。これは決して換骨奪胎ではない。モリエール師匠がもし今この日本にいたらどう書くだろうと考えながら若干のアレンジをしたものである。その台本での初演は(虎ノ門の発明会館)で、お客様は涙を流して笑って下さった。「モリエールは面白いね」とのお客様の言葉は師匠の許しのように思えた。
  当劇団創設後、年一本はモリエール、研究生の未熟な演技であってもお客様は大笑いだった。
  今回上演の「好き好き病気」――気でやむ男より――はモリエール師匠が好んでやり玉に挙げた医者ものの一つである。彼は自分の病気(肺結核だという)を治すことも出来ないくせに権威ぶっている医者に反感をもっていたらしい。当時の治療といえば、薬草の他は浣腸と刺絡(瀉血)だけだった。
  富裕な商人アルガンさんは主治医のピュルゴン先生にそそのかされ浴びるほど薬を飲み毎日浣腸されている、ついには先生の甥の医者の卵のトーマを娘の婿にすると言い出した。娘アンジェリックには恋人があり、悲しむ。一方、財産狙いの後妻ペリーヌは娘を修道院に入れて相続権を無くしてやろうと虎視眈々。アルガンの妹マドレーヌが意見をするがダメ。お嬢様の一大事、女中のトワネットはあらゆる知恵を絞って――。
  台本は例のアレンジで三時間半を一時間四十分に。(アレンジをはばかって「気でやむ男」を「好き好き病気」と題した)
  跡見は、近年アメリカ風に照明、装置がそれぞれ別個の権限を持っていることを憚ってか、若い日のように自分が照明、装置を受け持つと言い出した。主役アルガンををやりながらそれは、と思ったが、彼は昔の千手観音と韋駄天の申し子である力を発揮して獅子奮迅。安売りのゴブラン織りを使って、見事なロココ風の邸宅を作り上げ、いくつものサスを使って役者一人一人を際立たせ古典的な光を作り上げた。
  私も衣装は金をかけた博物館的なロココそのものを追わず、日本人がロココを夢見る華やいだものを求めた。メイク、かつらも同断である。
  さて、演技だが、若い研究生ではなくギネスに報告しようという声が出るほどのベテラン達だ。アルガンさんの跡見は、元来、ハムレット、オセローの悲劇の二枚目役者、それが権威ぶるが根はすぐ人を信じる、ちょっと抜けたお人好しの三枚目役。お馬鹿でへんちくりんのトーマ役の古谷氏はレアティース、イヤゴーのもっとも頭のいい役を得意とする役者、そういえば、悪役のペリーヌの石井君は元来はハムレットのオフィーリア役のうるわしのお姫様役者、お嬢様アンジェリックの塩塚君は元来キャピキャピの庶民娘役、この芝居の命題を背負ったインチキ医者のピュルゴン先生の森奈君はその権威性を出すのに大汗だった。みんな大変だったと思うが、ベテラン達は、楽しんで苦心の限りを尽くしてくれた。又、客演の役者さん達、水沢君はアニメ声を使って超可愛い十才にヘンシン、美里氏は知性的な立姿で、恋人クレアントのお二人は初々しさで、花をそえてくれた。
  只、とんでもないのはギネス一番手の私が女中トワネットを演じる気になったことで、何しろモリエールの召使いもの、この芝居の筋を背負って旦那をからかい目を覚まさせ、歌まで歌ってお嬢様を励まし、名医に化けてのピュルゴン落とし、旦那に死んだふりをさせてペリーヌの本心をあばき、八面六臂の活躍をしながら憎まれてはならない。幸いアルガンとの呼吸もぴったし、お客様がかわいがって味方について下さったのはありがたい限りだった。花台やローソク立てなどを、小猿よろしく止まり木にして、皆に心配をかけてゴメンナサイ。それでもぼや密かにかけっこの練習をしていたのだが――。又トワネットがピュルゴンをやっつけるために名医に化けて出るところではその「ひげ」をどうするか紙にするか毛糸にするか本物にするか、困り果てていたが、公演前日舞台稽古ぎりぎりになって跡見くんが台所受け持つトワネットならモップでやったらと言い出し、帽子を作っていた小道具の森奈くんはじめ皆も大賛成したものだ。これは大変に成功したしたようだが、こういう細かい知恵を出し合って舞台は作られるのだろう。
  いずれにしても演出としては、体いっぱい声いっぱいを出し切っての具体的行動とハッキリした心理の表現を要求した。TVに習った?演技、あくまで日常的にと、声も低くアクセントもなるだけつけない、というのが今の演技の潮流だが、今回の我々の芝居の演技はこの潮流に逆らうもので、古いと言われても甘んじて受けようと思う。モリエールがそれを要求しているのだから。
  しかしお客様は笑い通しに笑って楽しんで下さった。フィナーレの歌をうたいながら帰られた方もあり、皆様モリエールは楽しいねと言って下さった。「師匠、あなたの勝利です」私は思わず声に出して手を叩き、手元の紅茶ボトルを引っくり返したのである。
                                          (2018テアトロ12月号)
モリエール「スキスキ病気」(「気で病む男」改題)

シースルー、ミニ、パンタロン

《シースルー、ミニ、パンタロン》 
                          跡見梵

学生時代、先輩の紹介でアルバイト。場所は虎ノ門発明会館地下ホール、講演会、音楽の発表会等で使われていた。
発明会館は音楽発表会、講演会以外にはあまり使われない会場だが、どういうわけかその数日間、芝居が演じられた。モリエール作、「町人貴族」。演出だという長い髪の毛を横にたらした女性。白のスーツ、ピンクのブラウス。彼女の指示で舞台が作られてゆく。さんじょうさん、さんじょうさん皆が言っている。──??いくら研究生公演とはいえ大道具持ち込み何もない、コーラス等で使う平台を重ねて階段に、控室にあったソファを舞台中央にデンと据えモールで飾り、アッと言う間にロココ舞台を作ってしまった。
当時僕は新劇に興味を持ち始めていた。築地小劇場千田是也逆説俳優についてゴーゴリ検察官風刺喜劇エトセトラエトセトラ。モリエールは、ルイ14世太陽王その王様の、お抱え俳優兼作家、僕にとって興味の対象ではなかったが。
無教養だが町人の大金持ち、ジュルダンさん。素敵な侯爵夫人に恋をしてしまった。相談相手は貴族ドラント伯爵さん。彼に散々お金をむしられるのだがまるでわかってない、奥さんヤキモキ、実はこの貧乏貴族ドラントさんはドリメーヌ侯爵夫人の恋人なのです。恋は盲目。ふさわしい教養を身につけ、名誉を…。娘には恋人がいるのですが「貴族でないから!」と大反対。恋人クレオントはまっ青。(この役は後に僕の持ち役になった。)
ヘンデル「水上の音楽」で幕が開いた。音楽の弟子楽譜かざし踊る。経済重視現実派のナヨっとした音楽の先生、芸術至上主義ひょんひょん足技のダンスの先生。──ナニコレといきなり吹きだしてしまった。
音楽ダンス両先生の芸術バトルが終り、いよいよ御主人ジュルダンさん登場。部屋着を着た、小柄でえらのはった一寸見飲んべのおっさん。頓珍漢ハチャメチャなことを次々言い出す要求する、まわりはおべんちゃらを。そして、蜜に群がる蟻よろしく、次々と、剣術、哲学、仕立て屋さん金をまきあげ、ジュルダンさんをにわか貴族に仕立ててしまう。
全然似合わないジュルダンさんにいきなり女中のニコル大笑い。客席はもう笑いの渦。
ジュルダンさんの貴族病で拒絶された娘の結婚を助けるために女中のニコルと、娘リュシルの恋人の従僕コビエルは、計略を──。ジュルダンさんにママムーシという高い位をさずけて差し上げる、との“インチキ儀式”には笑いと興奮のるつぼ!
ジュルダンさんは願いが叶い、娘の結婚もうまく運ぶ! ついでにニコル、コビエルも結ばれ、めでたしめでたし。
一つ一つ印象的だった。歌、悩みの唄、先生ギタートレモロ、あゝ悩み、悩み悩み悩みと……恋の歌。恋はやさしいもの~、ロマンティックにうたう。ジュルダンさんは気に入らない。ジャヌトンちゃんちゃん小唄を披露! 皆はお追従。──ダンスの先生アクロバット的表現、剣術の先生の武道家的気迫気迫、哲学の先生の母音、子音の解説、仕立て屋さんによる礼服の披露とジュルダンさんの人形振り。
衣装は凄かった。娘は可愛いミニスカート、侯爵夫人は超セクシーなシースルーのパンタロン。どっちも当時のトップモード。大人しそうで我がまま一ぱいの娘と、お高くすましているが男がほしくてたまらない貴族レディーの本質を見事にあばいて見せたのだ。やられた!
この舞台は昭和45年、劇団芸術劇場、研究生公演として上演された。台本と演出は三條三輪。社会風刺喜劇を心のなかで抱いていた僕はこの舞台に興奮した。これだ!と。
次の年僕はこの劇団に入団した。
モリエール=喜劇の王様 とはいうものの日本では古典喜劇として、又問題劇として扱われることが多い。そのせいか学問的に面白い。お上品なものが殆どであった。かつてコメディ・フランセーズが日本に持ってきた「町人貴族」も、NHKフランス語講座でやっていたそれも同じに思えた。
貴族に対する皮肉と庶民の力が、そして明るく力ずよくウィットにとんだ演出、演技が無ければ、モリエール劇は生かされない。只、七十年代と今とでは随分世の中かわったが──。
このところ「シェイクスピア」、「テネシイ・ウィリアムズ」、「731の幻想(創作物)」等をやってきたが原点に返り、モリエール「気で病む男」(三條の台本では「スキスキ病気」)を上演することに──モリエールはこの舞台上演中に喀血亡くなった。──とむらい合戦と行くか!

                 (2018,9、テアトロ)
ジュルダン夫人(三條三輪)
三條三輪演出「町人貴族」舞台
木曽の旅 ドラント伯、ドリメーヌ侯爵夫人(三條三輪)
クレオント(跡見梵)

心に残った一本の芝居

《私の宝もの
                                       三條三輪
 
    私の宝もの
                虹企画/ぐるうぷシュラ
                            三條三輪

  長く生きてずいぶんたくさんの芝居を見て来ました。私の芝居人生の宝ものになったいくつかのシーンが浮かびます。
  戦前から今の新宿駅南口の東側、建て替え前の新宿国際会館ビル(今はドン・キホーテとか)にムーランルージュ新宿座があり、当時のインテリ層や早稲田の学生達に愛されたウィットフルな芝居を上演していました。(当時の入団者には、三木のり平、春日八郎、森重久弥、谷幹一など錚々たる面々がいたと聞きます。)その〔チャタレー裁判〕の公演が評判で出かけました。御存知チャタレー騒動は、昭和26年、ロレンスの〔チャタレー夫人の恋人〕の性描写が猥褻だと日本政府の忌諱にふれ、猥褻か芸術かと日本を二分する騒ぎ、訳者と出版社社長が起訴され、宮本百合子、福田恆存など文人達は表現の自由と弁護したのですが、昭和32年、最高裁の上告棄却でわいせつ物分布罪として罰金刑を科され、本は没収、発禁とされたのです。(パリでは全員一致の無罪でした。)
  勿論芝居はそれへの反発と皮肉で、傍聴人は検事にも弁護士にも首を振る人形、つまり是々非々のいわゆる知識人を揶揄っていました。純朴な地方青年の証言〔○子が赤線を引いたところを読めっつったもんで〕のセリフや、サービスかストリッパーの女性を出して文中を再現させるところで裁判長が机にはい上がってのぞき込んで検事に叱られる所では笑ってしまいました。これが私の風刺喜劇渇仰の導火線となり、モリエールの押しかけ弟子として、町人貴族からにわか医者、女学者、女房学校、ジョルジュ・ダンダン等の上演から、今秋公演予定の「気で病む男」の舞台にいたったのです。
  その後、ムーランは松竹に経営譲渡され、ある時新派の「明治一代女」がかかりました。かなり高齢ながら、芸者お梅役の花柳章太郎が、恋敵の芸者(英太郎)の裾を「お待ち」とキセルで留める仕草は胸がすくようなキマリで、新劇でも芝居にはあるキメが必要だなと思った事でした。
  同じ古劇で、私は学生時代から歌舞伎が大好きで、毎回安い一幕見、立ち見の天井桟敷に駆け上がったものです。当時熱演で一の芸達者と言われた初代中村吉右衛門のファンで、殊に「妹背山婦女庭訓」の「吉野川」がお目当てでした。(本朝物で帝と称した蘇我入鹿に臣従する太宰家後室定高と大判事家清澄は吉野川をはさんだ両岸で領地争いで反目していましたが、娘の雛鳥と清澄の息子の久我之助は恋し合い、入鹿の横暴な召し出しに貞高は死を願う娘の首を打ち、清澄は息子を切腹させる。わが手で子を殺した二人は心情を吐露して激しく嘆き合う。)「ハア首討ったか」と吉右衛門が泣きの型で男泣きの場。型なのに狂うばかりの父親の悲しみが迸り、「大はりま!」と客席は貰い泣きのハンカチの波。様式的演技でも心の芸で泣かすことが出来ると感動したものでした。
  一方十五世市村羽左衛門は、抜群の美で売っていました。例えば「桐一葉」の重成。白ぬりで花道にかかる、パッと照明が入る、客は只々その美に酔い、橘屋!の声がとび交うので、役者は見映えも大事だと、私は、役にあったメイクを必要と思います。素顔でお金を頂く自信が全くないので──。
  さて新劇では、いつだったか新劇合同の「かもめ」でマーシャの杉村春子さんが「この胸から(トレープレフを)追い出して見せます!」と叫んだときその報われない恋の演技にこっちまで切なく痛い思いがしたものでした。
  杉村さんではもう一つ、中国舞台の芝居、絶望的なシチュエーションでの芥川比呂志さん相手のラブシーン、「デューユーラブミー?」とさりげなく問う杉村さんに「イエスアイデゥー」と答えた芥川さんの沈んだ声音と暗い眼が忘れられません。悲劇二枚目のお手本でしょうか。
  もう一つ、モスクワ芸術座でしたか、「三人姉妹」のナターシャが女中のアンフィーサを追い出す場面、黙って出て行くアンフィーサの(人民功労俳優と聞きました)悲しみと絶望の背中の演技にしびれ、又たしなみから何も言えず黙って一点を見つめるオリガの怒りの演技は到底ロボットには演じられない凄さがありました。
  最後に自画自賛ですが、先年上演した「どん底」での故神山寛さんのルカは人を助けたい心とそれ故の嘘がたくみに調和されていて世界一のルカだと思ったものです。又跡見梵の演じたサーチンの「人間」のくだりはゴーリキーの望んだものを多少なりとも具現できたと思いました。(その時のお客さまの、「これが新劇というものだよ。」というお言葉は最高嬉しいものでした。)
  まだ書ききれない宝のシーンは多々ありますが、それは後日のこととして、これらを胸に刻んでさらに精進出来たらいいなと思って居ります。 


                                                  (2018、9月号テアトロ)
   

プロデューサー失格

   プロデューサー失格??
                  跡見梵

ゴーリキー「どん底」稽古風景。
靴屋の小僧アリョーシカ手風琴を抱え、酔っぱらって登場、口笛を吹く「よう、寝坊助め。」──おいおい根暗にやるなよ声が小さすぎるよ可愛らしい声で……可愛いのは結構だが、昨日の稽古でも言っただろう! もっと威張って自分をアピールしてよ。癒してくれる所がこの木賃宿。ここだけが君を受け入れてくれるんだ、陽気にやってよ! 帽子屋ブブノーフ『又、タガを外しやがったな。』アリョシカ『はずして悪いかい。』──《冗談じゃねえよ!》の心でやってよ!……酔っぱらって往来で騒いだ、巡査に捕まって署長に放り出された! 《怒り》がないんだよ、お偉いさんのお坊ちゃんだったら大事にしてくれるだろう……コンチクショウという気持ちが沸かないのかよ! 『おれは今、署長のメジャキンに分署から突き出されて来たんだ。「もう往来へ出ることはならねえぞ」なあんて言やがった。おいらはこれでも人格のある青年だ……署長はおれを侮辱しやがった……おれはなんにも欲のねえ人間なんだ……なんにも要らねえんだ。』──署長の《真似》してよ、権威をかさに威張り腐って、たらふく食ってやがるんだ、俺は《怒ってるんだ》と言ってよ! 君、靴屋のくせに靴ないんだよ! いつも裸足だよ! ロシアものすごく寒いんだよ! 《おいらはこれでも人格のある青年だ》怒って見せてよ! 何の意味もなくしゃべらないで。世間の奴らは外にあらわれた姿かたちで判断しやがる、いい加減にしやがれ、馬鹿野郎! の こころをぶつけてよ! 帝政ロシア資本主義の腐敗、退廃そして不安。現在、日本は新自由主義超格差社会と発展し、一寸病気したら、家を売らなきゃ病院の入院費も払えない。君なんか、もともと家もないじゃない。電車賃ないから自転車で稽古場まで来てる、その靴なんか底が剥がれて大道具の接着剤で修理したんじゃなかった? 奴隷から解放されて行き場のなくなった人たちが襤褸をまとった舟曳に! 浮浪者が街にあふれる。それを君が表現するんだ!
モリエール「気で病む男」より「スキスキ病気」。稽古。
ぼけっとした顔するんだよ! 主役のアルガンがそんなにシリアスだったら喜劇にならないよ、何度言ったらわかるんだ。
正直で人がいいんだよ。……ひといろでやるなよそれじゃ馬鹿だよ。……まったく……喜劇の才能ないんだから……。これはね、風刺喜劇なんだよ、わざわざ君の為に書き直してるんだよ!モリエールさんの許しを得て(どうかな?) 薬の名前なんかよくわかるだろ!(モリエールさんとは変えてるからな)君だって自分のお父さんのガンになりたくない薬大好き病、知ってたじゃないか。医者と薬屋が患者を食い物にして、そういう風俗を強烈に風刺しているんだよ! 踊らされている君を描きたいんだ、役者がそれを意識してやらなきゃダメだよ。
稽古は進み、着々と完成に近づく、と思いきや準主役、いや主役アルガンさんと掛け合いを演ずるトワネット変装用の帽子と髭が、これはにせの医者として出てくる時の重要なもの、これがまだない! インチキ医者ピュルゴンさんの帽子は権威の象徴、それに対してトワネットの方はトルコ帽のようなものとか、……それと髭も紙で、布で毛糸で。……ゆらゆらとゆらしたり、ねじったり、折ったり畳んだり。
医者の権威を皮肉るんだから、上を行こう、ピュルゴン先生の帽子ちょっと小さく色は当時の医者は黒。トワネットの帽子はもっと大きく色は白。ひげは……トワネットは台所仕切ってるんだから、モップがいいか! みんなでわいわい庶民の代表トワネットが大活躍。やっと出来た。
さて次の公演は! またもモリエール師匠の許しを得て……ドン・ジュアンなど??
                    (2019.1 テアトロ)
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