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核ゲンバクって!

「構成詩劇」核ゲンバクって?

「構成詩劇」
核、ゲンバクって?
     構成・演出 三條三輪
            虹企画/ぐるうぷ・しゆら上演台本

 原子と人間        湯川 秀樹   1949・5月
   (さざ波、せせらぎの様なBM)       
人間はまだ この世に生れていなかった
アミーバもまだ 見えなかった
原子は しかし すでに そこに あった
スイソ原子も あったし
ウラン原子も あった
原子は いつ できたのか
どこで どうして できたのか
だれも 知らない
とにかく そこには 原子が あった
原子は たえず 動きまわっていた
ながい ながい 時間が 経過していった
スイソ原子と サンソ原子が ぶつかって 水が できた
岩が できた
土が できた
原子が たくさん 集まって ふくざつな 分子が できた
いつのまにか アミーバが 動きだした
しまいには 人間さえも 生まれてきた
人間はしかし まだ 原子を知らなかった
人間の目には 見えなかったからである
ながい時間が 経過した
人間は ゆっくり ゆっくりと 未開時代から脱却しつつあった
ある 少数の天才のあたまのなかに「原子」のすがたが うかんだ
人々が 原子について 想像を たくましくした時代が あった
錬金術に うき身を やつす時代もあった
そうこうするうちに また 二千年に近い歳月が ながれ
「科学者」と よばれる人たちが つぎつぎと登場してきた
原子の姿が きゅうに はっきりしてきた
それが どんなに ちいさなものであるか
それが どんなに はやく 動きまわっているか
どれだけ ちがった顔の原子が あるか
かれらは 断言した
原子は永遠に その姿を かえないものだ
そして それは 分割できないものだ」
やがて 十九世紀も おわろうとしていた
このとき科学者は あやまりに 気づいた
ウラン原子が じょじょに こわれつつ あることを 知ったのだ
人間のいなかった昔から すこしずつ こわれつづけていたのだ
壊れたウランから ラジウムができたのだ
原子はさらに 分割できる事を知ったのだ
電子と 原子核に 再分割できるのだ
やがて 二十世紀が おとずれた
科学者はなんども 驚かねばならなかった
なんども 反省せねば ならなかった
原子の ほんとうの姿は 人間の心に描かれていたのとは すっかり 違っていた
科学者の努力は しかしむだではなかった
「原子とは何か」という問に こんどこそまちがいのない答えができるようになった
「原子核は さらに 分割できるか
それが 人間の力で できるか」
これが 残された問題であった
この最後の問に対する答は 何であったか
「然り」と 科学者が 答えるときが きた
実験室の かたすみで 原子核が 破壊されただけではなかった
ついに 原子バクダンがさくれつしたのだ
ついに 原子と人間とが 直面することになったのだ
巨大な原子力が 人間の手にはいったのだ
        「少年少女の広場」1949・5
女の子 原子爆弾てどんな爆弾なのですか?
学者 原子の中心の原子核が、ウランやプルトニウム原子の原子核に中性子をあて、人工的に壊すと、大量のエネルギーが放出されます。原子核がこわれる「核分裂」がごく短い時間に次々と広がると、瞬間的に非常に強大なエネルギーを生みだします。このエネルギーを兵器として利用したのが原子爆弾(原爆)です。
核分裂を連続して起こさせるためには、ある一定量(臨界量)以上の核分裂物質が必要になります。広島に投下された原爆には、核分裂物質としてウラン235が使われました。このウラン235を2つの塊に分けておき、爆薬を使って塊をぶつけ合わせることにより、百万分の1秒という極めて短い時間に核分裂が連続して起こり、膨大なエネルギーが一度に放出されます。爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線が放出されるとともに、周囲の空気がものすごい力で膨張して、衝撃波が発生し、その後、強烈な爆風が吹き抜けるでしょう。そのエネルギーはTNT火薬に換算すると、広島型で約1万五千トンに相当すると考えられています。又、摂氏三千、四千度の高熱で、勿論衣服はとけ、皮膚は殆ど、火傷で炭の様に焼けはがれてぶら下がり、ひどいかわきで水を水をと苦しみながら死に至ります。
女の子 放射線て、害をするのですか?
学者 人間の皮膚を透過して、殊に血を作る臓器や生殖腺にとどまって破壊します。それが原爆症として被爆者を永く苦しめます。
 第二次世界大戦前後、1939年8月2日、「ソウタイセイゲンリ」の大科学者、アルバート・アインシュタインは、ルーズベルト大統領にあてた化学者達からの手紙に署名しました。(当時アインシュタインはじめ、ドイツの何人もの化学者達は、ナチスのユダヤ人迫害を逃れてアメリカにいたのです。)
手紙の内容は。「ナチの科学者は核分裂を発見したらしい。彼らはやがて核エネルギーを使って、港と周辺を一挙に破壊する強力な新型爆弾を作ることが心配されます。こちらも原爆の開発を急いで下さい。」
アインシュタイン大科学者の署名は重く受けとめられ、大統領は言った。
「ナチの奴らは我々を吹きとばそうとしているのか。これは行動を要する。」
そして──
「1942年 名高い〝マンハッタン計画〟、アメリカ、原爆投下作戦がスタートした。総司令官レスリー・グローブズ大将。ロス・アラモスに一つの市街を形成する広大な秘密工場には、オッペンハイマー博士ら核物理学のトップ科学者達、アメリカ軍需工業大資本が結集、数億ドル、数千人の物的人的資源がすべてに優先して惜しげもなく投入された。これは、陸軍総司令官、アーノルド元帥、マーシャル参謀総長ら、数名の軍首脳部だけが知るトップシークレットそして、その進行状況は、後のトルーマン大統領さえ知ることが出来なかった。」
「太平洋戦争の終わり近い一九四五年、…昭和二十年夏 サイパン、テニヤン島、硫黄島玉砕、沖縄陥落、それらの島々の基地から飛び立つB29の大編隊は、昼も夜も、すでに敗北の色濃い日本の空を襲いつづけていた。」
「スチムソン陸軍長官は、原爆の完成と使用を強く望んだ。『日本がこのまま投降しない場合、米陸軍は、一九四五年十一月、九十九里浜、湘南海岸から日本本土上陸作戦を敢行するが、その際のわが方の死傷者は、百万と推定される。戦争を早く終らせ、わが将兵の多数の生命を救うため、原子爆弾が必要なのだ。』──」
「一九四四年、原爆投下実行部隊として、二千名の将兵から成る第五〇九混成飛行部隊編成。隊長は、ミスターB29の異名を持つ、ヴェテランパイロット、ポール・W・ティベッツ大佐、現地総指揮官、太平洋地域戦略航空部隊司令官、カール・スパッツ将軍。作戦リーダーは、日本縦断、焼夷弾爆撃の立案実行者第二〇航空隊司令官、カーチス・E・ルメイ大将。原爆設計、B29改造、投下訓練……作戦は、隊員達さえ何一つ知らされないうちに着々と進んだ。」
「投下候補地は、京都、ヒロシマ、ナガサキ、コクラ、ニイガタ、後、京都は、スチムソン長官の強い反対で除かれた。
アーノルド元帥は、原爆効果の完全な観察のため、それらの都市への攻撃中止を命令。ルメイ将軍とティベッツ大佐は、気象条件がよく、南北に指をひろげるように川が流れて、目標を定めよいヒロシマを第一候補にえらんだ。
昭和二十年 七月 十六日 ニューメキシコ砂漠での原爆実験成功。報告は、直ちにトルーマン大統領にとんだ。あとは大統領の許可一つ──」
「その時トルーマンはドイツポツダムにあって、ソ連スターリン首相、イギリスチャーチル首相と、戦後処理、日本打倒を会議中だった。夕食会の席上スターリン首相が言った。『ソ連は近く日本に宣戦を布告するでしょう。東京での次の会合のために乾杯!』すかさず同席していたアーノルド元帥が答えた。『B29がこのまま爆撃をつづければ、東京にはもう、会合する場所も残っていないでしょう。』
「ソ連の参戦は、戦争の早期終結をのぞむ連合軍にとってはよろこばしいことだった。しかし、もし、強力なソ連軍が、満州朝鮮をおとし、一気に北海道まで占領したなら、戦後の極東支配はどうなるか。……日本に降伏を促すポツダム宣言は、面目のため本土決戦を唱える日本軍部によって拒否された。一刻も早く、アメリカの手で。ソ連でなくアメリカの力で日本を屈伏させなければならない。……同じ西側のチャーチル首相も賛成した。
トルーマン大統領は決断する。「戦争を一刻も早く終らせわが将兵の多くの生命を救うために、私は原子爆弾の使用を許可する。」
これがヒロシマへの死刑宣告であった。

 史上第一号の原爆機、エノーラ・ゲイ。機長ポール・ティベッツ大佐。エノーラ・ゲイ とは彼の母の名。あの日の午後二時四十五分、機種観測機につづいて只一機、テニヤン基地を飛び立った。偵察機に見せるための、ルメイ将軍の作戦だった。
それは はなばなしい出発だった。四方八方から煌々とアーク燈、ムービーカメラ、フラッシュ、又フラッシュ。史上初の 一大記録を後世に残そうというのだ。ハリウッドのスタジオだ。いや、大スーパーマーケットのオープンだ。カーニバルだ!
 
 彼らのターゲット、ヒロシマの空は、残酷にも美しく晴れわたっていた。一人のナビゲーターは記録している。『雲の層がまっ赤な朝焼けを照り返し、見たこともない素晴しい日の出だった。』気象観測機長、クロード・イーザリー少佐から報告が入った。『ヒロシマ上空 雲量3、気候よし、投下せよ!』八時十五分、エノーラ・ゲイは正確に 相生橋上 高度五千メートル、 投下! 四トンの重い荷物のなくなった機体は激しくゆれ、ティベッツ大佐は右一五五度フルスピードターン。爆発から逃れた。「来るぞ!」閃光がコクピットに走り、バリバリバリン、 機の横原に、八十八ミリキャノン砲が当たったような、衝撃波。それが地面にハネ返ってもう一度! その瞬間、キノコ雲が 物凄いスピードで沸き上がり、彼らの高度まで迫って来た。白、黒、灰色 の まぜこぜ、 これまで見たどんな暴風より激しく煮えたぎり、うねり、沸とうしていた。静まっていた街も、今は浮き上がり、煮えたぎる紫色の泥、コール・タールのようなものに包まれ、煙の中に、もの凄い赤い炎が 荒れ狂い、うねり、煮えたぎっていた。『おゝゴッド、神よ!』誰かが叫んだ。ティベッツ自身も言う。『それは、我々にも、恐らく、これを作った者にとっても、想像を絶した悪夢だった。こんな、人類を絶滅させ、地球の皮を引きむく程、烈しいものになるとは!』
爆発地点、地上五百七十メートル、その中心推定温度三十万度、鉄も一瞬に溶ける四千度の熱線、コンクリートを潰し、ガラスの嵐を作る爆風、骨髄に突き刺さる、γ線、β線、中性子線。
死者十四万七千、行方不明一万四千百、負傷者三万八千
広島の瓦礫の三里四方
白骨と煉瓦くずをならして
三尺ばかり高くなった

 「原爆攻撃成功 原爆攻撃成功!
トルーマン大統領は椅子からとび上がって叫ぶ。
『歴史上最も偉大な出来事だ! さあ家に帰る時が来た!』」
「テニアン基地は沸き立った。」
全隊員が迎える中、降り立ったティベッツ大佐の胸には、スパッツ将軍自らの手で功労十字章がつけられた。
拍手、歓声、握手、握手、握手、氷だ、ビールだ、コーヒーだ。将軍も兵隊も、誰彼なくウイスキーをラッパのみだ。」
         

 げんしばくだん        坂本はつみ
げんしばくだんがおちると
ひるがよるになって
人はおばけになる
              「原子雲の下より」1952・9

 げんしばくだん                        浜田 享子

げんしばくだんが
おちたときは
お日さまがおちるようだった
ピカドンと
おちてきた
あたりがくらくなると
おばけが目を光らせているようだった
げんしばくだんは
じごくのつかいだ
               (未発表)
  
 自 画 像             神田 周三
世の中が一瞬に
濁った黄色い街に変った
へし折られた電柱が 真赤に燃え
人が 馬が 犬ころが
真黒くなってころがった。
これは 何のことか 判らなかった。
壊れた家から可憐な焔が幻のように
ぱっと光
その火焔が 狂舞乱舞して 天を焦した。
これは 何のことか 判らなかった。
両頬から首にかけて うす黒く染って
二筋 三筋 赤いなま血
着物も モンペも
ぼろぼろに 焦げちぎれた。
これは 何のことか 判らなかった。
純白な乾いた 光
無言の太陽
黄色く 濁った 往来
たった ひとり
じりじり 痛む 顔で
夢中に走った
これは 八月六日の朝の自画像だった。
                 『広島の詩』1965・8
 

   八月六日
あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧しつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え
渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂け、橋は崩れ
満員電車はそのまま焦げ
涯しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿を踏み
焼け焦げた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列
石地蔵のように散乱した練兵場の死体
つながれた筏へ這いより折り重った河岸の群も
灼けつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光の中に
下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも
焼けうつり
兵器廠の床の糞尿のうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭のよどんだなかで
金ダライにとぶ蝿の羽音だけ
三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩が
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか!
                          (炎ノ街)    中村 温


青白イキラメキト黒イ太陽ト
死ンダ向日葵ノ花ト崩レタ屋根ノ下デ
人人ハ声モナク顔ヲアゲタ
ソノ時見交サレタ血ミドロノ眼
ズルムケノ皮膚
茄子ノ様ニフクレタ唇
硝子ノ刺サッタ頭
≪コレガ人間ノ顔デアルワケガアロウカ≫
誰モガ他人ノ顔ヲ見テソウ思ッタ
ダガソウ思ッタ人ノ顔モソウナッテイタ
炎ガヤガテ街ヲツツンデ行ク
或ル家デハ母親ト七歳ノ女ノ子ダケガ居タ
屋根ノ下敷キデ母親ハ動ケナカッタ
女ノ子ダケガ助カッタ
女ノ子ガ柱ヲ動カソウトシテ居タ時
炎ハソコニモヤッテ来タ
≪お前ダケ逃ゲナサイ≫
母親ハ自由ニナル片腕デ
ソノ子ヲ押シヤッタ
恐怖ノ叫ビ声サエモ出ズ
炎ノナイ処ヲ目ザシテ
西カラモ東カラモ
ズルムケノ裸形ノ
男カ女カモワカラヌ
幽霊ノ行列ガ続イタ
ソノ様ナ中デ
突然
行列ノ中ノ老婆ガ立チドマリ
ホドケタ帯ノ様ナモノヲタグッテイタ
炎ハモウソコ迄キテイルノニ!
見カネタ一人ガ言ッタ
≪オ婆サン ソンナモノハ捨テテ早ク行キマショウ≫
スルト老婆ハ答エタ
≪コレハ私ノ腸ナノデス≫
                              『JAP』21 1963.2

    仮包帯所にて
    逃れ横たわった女学生たちに     峠三吉
          
あなたたち
泣いても涙のでどころのない
わめいても言葉になる唇のない
もがこうにもつかむ手指の皮膚のない
あなたたち
血とあぶら汗と淋巴液とにまみれた四肢をばたつかせ
糸のように塞いだ眼をしろく光らせ
あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐だけをとどめ
恥しいところさえはじることをできなくさせられたあなたたちが
ああさきほどまでは愛らしい
女学生だったことを
たれがほんとうと思えよう
焼け爛れたヒロシマの
うす暗くゆらめく焔のなかから
あなたでなくなったあなたたちが
つぎつぎととび出し這い出し
この草地にたどりついて
ちりちりのラカン頭を苦悶の埃に埋める
何故こんな目に遭わねばならぬのか
なぜこんなめにあわねばならぬのか
何の為に
なんのために
そしてあなたたちは
すでに自分がどんなすがたで
にんげんから遠いものにされはてて
しまっているかを知らない
ただ思っている
あなたたちはおもっている
今朝がたまでの父を母を弟を妹を
(いま逢ったってたれがあなたとしりえよう)
そして眠り起きごはんをたべた家のことを
(一瞬に垣根の花はちぎれいまは灰の跡さえわからない)
おもっているおもっている
つぎつぎと動かなくなる同類のあいだにはさまって
おもっている
かつて娘だった
にんげんのむすめだった日を  



 親  子             槇 博
焼茄子のように
ひび割れた手を持つ全裸の女
半身が炭化した
黒い児を抱きしめて
狂った眼をして歩いてた。
挽肉の、わが子の足をなでさすり
消炭の、口にねじ込む腐れた乳房
どうろどろどろ
どろろろろろ
血膿の汁を浴びせかけ
坊や! 何故呑まないの……
坊や!
ゆさぶり返し、ぶり返し
半身の瞳孔を怒らせて
額をこづく
死臭のまじる風に飛ぶ
炭素に還った頬の肉
砂利を踏む
素足のままの両脚は
皮膚がむけ
毒キノコのような五本の指が
化膿した足跡を描く街はずれ
子の父は
燃ゆるビームを腹にうけ
ゆらゆらな
火炎に焼かれ
母と子を残して死んだ。
                                  『芽だち』31 1956・8



日本に原爆が投下されたときいたアインシュタインは思わず云った。「何ということだ」。
そしてドイツが空爆によって破壊され、原爆を作れなかったと聞いて言った。
「あの大統領への手紙への署名は、わたしのあやまりだった」と。
又オッペンハイマー博士は、ある時、私の両手は血にまみれているとつぶやいたと伝えられている。


ヒロシマ、ナガサキのパイロット達は、戦後しばらく、原爆英雄としてたたえられた。その一人、気象観測機長として『気候よし、投下せよ!』と指示した クロード・イーザリー少佐は、ヒロシマの人々の地獄図のイメージに悩まされつゞけ、遂に、原爆英雄の名を汚してやる、と、強盗をして、原爆コンプレックスによる精神障碍とされ、米空軍病院精神病棟に監禁された。彼が毎夜にうなされて叫んだ、ストップ、チルドレン アー バーニング  止めろ、子供が燃えている! という言葉は、全世界の良識ある人々を感動させ、一時は 時の人 となった。 しかし、やがて彼は、原爆攻撃に関係ない、サギ師である、 とのレッテルをはられ、 すべてのマスコミから葬り去られた。数年後、彼が 言語不能症におちいり、 無残な無言のママ、 空軍病院の檻の中で死亡したことが 小さく報じられていた。
ティベッツ大佐は言う。『私は軍人として命令を受け、軍人としてそれを遂行し、成功した。私はあの時点での原爆使用を支持する。もし、今、全く同じ状況なら、私はもう一度原爆を投下するだろう。』
イーザリーは苦しむ。『それはたしかに命令だった。しかし、実際にやったのは、私なのだ。私のこの手なのだ。それで 私に 責任がない、 といえるのだろうか。』
ティベッツは言う。「私はプロの軍人だ。自分の感情をコントロールする様に仕立て上げられて来た。 上官が、お前はカエルだ と いえば、私はピョンくと とびさえすればよかった。私の所には批判の手紙が多く来ている。が、私は恥じてはいない──」
が、ティベッツは その後閑職にまわされ、 世の非難を恐れたか、陸軍首脳部は、彼の准将昇進を七度も却下、やっと昇進させると、直ちに退役させた。彼は使い捨ての英雄だったのだ。 ティベッツはつぶやく──
「私が死んだら墓はいらない。 火葬にして その灰を大西洋に風が吹くままにとばしてほしい。 只、私を原爆を落した第一号の男として覚えていないでくれ。一人の優秀なプロの軍人として記憶してほしい。」

   貧乏になった
                               小学六年 円道正純
妹よしえは戦争中に死んだ
米がないので大豆ばかり食べて
げりばかりして
とうとう死んだ
それからまもなく
原子爆弾が落ちた
ぼくは母と逃げた
親類のものはみんな死んだ
このごろになって
お母さんが
さびしいとよく言われる
十万のいのちが
あっと言うまに
なくなったのだ
みんな広島の人は
こじきのように
貧乏になった
そして今も
苦しいくらしをしている
        「原子雲の下より」52・9



 戦  争        松井 好子
信じられない
信じられない
多くの死者を出した
あのにくらしい戦争を
人間がしたということ
人間がまたはじめているということ
なぜか信じられない
                        「少年詩集」1966・8

 被爆後一六年        芹沢 敏
あの熱線と放射線に身体の一部を破壊されながら
岩屋山を越え
やっと死の追跡から逃げだせた身体に
待っていた
泥を食って生きねばならないような
どん底の悲惨な生活だった
強奪されたのは
妻 子供 家 ささやかな財産だけではなかった
原爆の毒牙はいまでも骨髄に沈殿し
私の可能性を削りとっている
貧血症の身体が働く一日の報酬は
あすの生活を支えるエネルギーの補給にも不足しがちだ
働き働き 疲れる
報われない食うための労働は 私の人生を灰色の疲労に塗りつぶしていく
だが 歌おう 手をつなごう
私の絶叫が幾度ジェット機の爆音にかき消されようとも 私は自分を
自分たちのすがたを訴える
パン一個が多く食えたら
満足に憩える休日が欲しい
ジェット機一台 ミサイル一発で何戸分の貧しい生活が救えるだろう
疲れた身体の思念は
かたときも絶やさずこんな自問を続けている
続けている
            「原爆野外詩展作品集」1961・8

 声なきものへ         山田 数子
なんぼうにも
むごいよ
みんなにもうわすれられて
埋もれてしまった
ほとけたち
ほったらかしの
ほとけたち
なんぼうにも
むごいよ
月のかたぶくばんには
ゆうれいになってやってこい
母さんとはなそうよ
うしろむきになってはなそうよ
                 「広島文学」1966・1


   1
 (原爆より三日目、吾が家の焼けあとに呆然と立ちました)
めぐりめぐってたずねあてたら
まだ灰があつうて
やかんをひろうてもどりました
でこぼこのやかんになっておりました
〝やかんよ
きかしてくれ
私の子供の消息を″
やかんが
かわゆうて
むしょうに  むしょうに
さすっておりました


   2
 よその国からひとがきて
何とかいう鐘を吊っていんだげな
えらいひとがきて
はしのような墓をたててくれたげな
「安らかに眠って下さい」
いうたげな
まだようねんと
今夜も
わたしと歩くんかい

   3
 月夜
もうねたかい
もうねたかい
まだかい
もうねたろう
はよう
ねてくれよ
   4
 夕方
はなやの前をとおると
はなたちが一せいにこっちをみる
チョーリップも
スイートピーも
アネモネも
ヒヤシンスも
それから
フリージャも
みいんな
手をだして
つれてかえってくれという
母さんにだかれていたいいう
   5
 まちにあったかい灯がとぼるようになった
ふか ふか ふかしたてのパンが
ちんれつだなにかざられるようになった
今宵かじるこのパンを
たべさしてやりたい
はら一ぱいたべさしてやりたい
女夜叉になって
おまえたちを殺したものを
憎んで、憎んで、憎み殺してやりたいが
今日
母さんは空になって
おまえのために鳩をとばそう
まめつぶになって鳩をとばそう
まめつぶになって消えていくまで
とばしつゞけよう
   6
 しょうじよう
やすしよおう
しょうじよう
やすしよおう
しょうじよう
やすしよおう
しょうじよう
やすしよおう
しょうじい
しょうじい
しょうじいぃ
      しょうじ=昇二 次男
      やすし =泰  長男


 死んだ子ども
              ── ヒロシマに向けて──                           
             滝 百合子
コウモリのはばたく音
ママ
あれはぼくのたたく音なの
お空にポッカリあいている穴
ママ
あれはぼくのからだが
散った時の雲のやけどだよ
天皇陛下の祈る声
あれは
ぼくの目覚まし時計
絶対に眠ってはいけないという
かけ声だ
ママ
妹たちがぼくの頭の上で
遊んでいるね
ぼくの目の中から
一本の草が
もうすぐ生えるよ
ぼくの目は
とっくにカラカラにかわいてしまったから
ママ
ぼく もう
泣いていないよ
       「首のない少年」73・10

   7 
 風さん 風さん 風さん
あなたが世界中をくまなく吹いて
どこかでわたしの子どもをみかけたら
わたしが
待って 待って
待ちくたぶれて
それでも
のぞみをすてないで
まだ
待っているからと
あの子に伝えて下さいな
お月さん  お月さん  お月さん
あなたは
一年  三百六十五日
そうしてあるいておいでだから
あなたは何でも見えるでしょうから
わたしの子どもが
みちが多くてかえれないと
泣いていたなら
まよわずまっすぐ帰ったらいいと
おしえてやって下さいな
かり(雁)さん  かりさん  かりさん
あなたがかえっていく北の国に
もしも
わたしの子どもが寒さにふるえていたなら
わたしが
おまえをさがしていたと
子どもにいって下さいな
月のいいばんには
ふえをふいて待っているとあの子に告げて下さいな
つばめさん  つばめさん  つばめさん
あなたがいたみなみの国に
もしや
わたしの子どもが
帰るのを忘れてあそんでいやしないでしょうか
みなみの国は、いっぱい、いっぱい、花が匂うているから
花の香りにむせて
帰るのを忘れているかも知れないのです
もし
あなたがわたしの子どもをみかけたら
わたしが待っているから
と、あの子に告げて下さいな
   8
 ザク  ザク  ザク
山里にみぞれ降る
ゆきの重さ
かなしみの重さ
わたしが
待って 待って
待ちくたぶれて
それでも
のぞみをすてないで
まだ
待っているからと
あの子に伝えて下さいな
背戸の戸をたたくのは
だれ
コト  コト  コト  コト
ゆすぶっていくのは
だれ
母さんは内職の仕事をしているよ
母さんは待っているよ
母さんはお前たちのパンツもシャツも
まだ持っているよ
 しょうじよう
 やすしよおう
 しょうじい
 しょうじい
 しょうじいぃ


 ケロイドは永久に癒えず      島 明子
街に溢る、美しき乙女等は
嬉々として 今日も
滑らかな皮膚 艶やかな腕を
短かき袖の服に 誇らしげに
誇らしげに
欲しいのです その腕を 私も
私は若いのです 女です
焼けただれた みにくい腕を
重苦しい長き袖に包んでる
その腕 それはそれは私の腕です
ああ呪わしの日、 呪わしのあの日よ
歪められた青春
歪められた腕は永久に癒えず
この嘆きを この哀しみを
誰に 誰に
                  『芽だち』26 1955・8


 父 の 死         正田 篠枝
金盥へ いっぱい吐血して
胃癌を 宣告されました
昭和二十五年、六年の当時は 胃癌が
原爆と 関係があるとは 誰にも
わからないのでありました
それから後 あの人も この人も と 言うように
ぞく ぞく と 胃癌で 死んで 逝きました
父は 入院して 手術しました
輸血代に 三十万円借金が できた と
聞かされました
弟も 私も 間にあわず あわただしく
さみしく 父は 生命を 終ってしまいました
見も 知らぬ 二人の付添婦に
父の 臨終のさまを ひつこく たずねて
詫びては 泣き 沈む 私でありました
                                「耳鳴り」1962・11


 ふるさとナガサキの声
                島田 勇
また 八月九日がきたんやね
ね あんたの右ん眼が
つぶれた日がきたんやで
あめ玉のような
かわいい眼玉が
えぐりとられた日が
また
やってきたんやで
あんた 右ん眼 とられてから
ずっと 白い眼帯 かけて
学校 いっていたんやで
くやしかったじゃろ
はがいかったじゃろ
ふじゅかったじゃろ
あんた ときどき
白い眼帯 はずして
机の下で
ケロイドの痕をなでていたんやで
おいら知っていたんや
おいら
そいをいうと
あんたなくじゃろ
そいで黙っていたんや
ことしも
あんたの日がきたんや
ピカドンの日がきたんや
あんた
メンチョといわれ
カタメといわれ
あんた
左ん眼で本よんでいたんや
右ん眼ん玉はピカにとられたんや
あんた
ロザリオの鎖がほしゅうなかな
あんた
マドンナの首飾りがほしゅうなかな
八月九日がきたんやで
あんた
六つやったんやな
あんた二十五になったんや
あんたよめごにいきたかじゃろ
                               「橋11」64・8


 死んだ少女
          ナジム・ヒクメット
扉を開けて 叩くのはわたし
どの家の扉も わたしは叩くの
あなた方の目に わたしは見えない
死んだ人は見えないのだから
わたしが死んだのは ヒロシマ
たくさんの年がすぎてゆきます
いつまでもわたしは七つ
死んだ子は年をとらないから
炎は わたしの髪の毛を やき
炎は わたしの目に かぶさり
ひとにぎりの 灰に わたしはなり
灰は 風に 運び さられ……
おねがい! けれどわたしのためでなく
わたしには パンもお米もいらないの
アメだって食べられないの
木の葉みたいにもえてしまったから
署名してください おねがい
地球のうえのすべての人に
子どもが 炎に やかれないために
子どもが アメを たべられるために
              「死んだ少女」(国文社刊)56・11

 
  僕は死ねない        徳納 晃一 
うつむいて
一生懸命ノートしている授業中
いきなり
ポタリと鉛筆のさきへ鼻血がちった
とめどなく
ノートの字を染めつぶして
血はいつまでも止まらなかった
すきがあれば心のすみのどこからか
頭をもたげようとすることば
だが僕は死なない
あの原子爆弾のために
だまって死んでしまえるものか
原子爆弾が地球のいたるところに
光って落ちて人の命をうばって
地球上いたるところに
僕のような運命をむりやりにせおわされて
悲しい人びとができていいものか
僕は死ねない
そっと腕をまくってみる
まだ班点は出て来ない。
                           〔1〕高校二年。  「平和をもとめて」1962・3



 父 の 死         正田 篠枝
金盥へ いっぱい吐血して
胃癌を 宣告されました
昭和二十五年、六年の当時は 胃癌が
原爆と 関係があるとは 誰にも
わからないのでありました
それから後 あの人も この人も と 言うように
ぞく ぞく と 胃癌で 死んで 逝きました
父は 入院して 手術しました
輸血代に 三十万円借金が できた と
聞かされました
弟も 私も 間にあわず あわただしく
さみしく 父は 生命を 終ってしまいました
見も 知らぬ 二人の付添婦に
父の 臨終のさまを ひつこく たずねて
詫びては 泣き 沈む 私でありました
                                     「耳鳴り」1962・11



 冬──胎内被爆者の手記      犬塚 昭夫
リコ
ごめんね
ぼくは浦上でうまれた
二十年前
原子爆弾が落ちたとき
ぼくはおふくろのおなかのなかにいた
だから
好きだというのがこわかったのだ
リコも
ぼくが好きだとわかっていたのに
寒いわね
寒いな
そして襟をたて
チャンポンをたべて別れた
一人帰ってくると寒い夜だ
まっているようによりそっている
机の上に置いてある二つのりんご
食べながら話したかった
電燈を消すと
りんごはない
おわれるように目をつむる
ながいながい夜だ
リコ おまえの夜も
眠れないながいながい夜だろうか
何か
恐ろしいことがはじまるような
           『詩集とばない鳥』1966・3



 原 子 野       山口 宏
ビルが 建った
公園が できた
観光バスは その間をかけまわり
「アレカラ十六年」と
ことしも 記憶をよみがえらせるだろう
観光客は うなずき
「モウ ソンナニ ナルカ」と
感慨にふけるだろう
そして
カメラを せわしく ぱちぱち動かし
チュウインガムの紙くずを吹きちらすだろう
「立派ナ会館ダ」といい「スゴイ資料ダ」と
目を見はり
落下地点の公園の芝居を気持よく散策するだろう
そして
次の名所を訪れるだろう
昇天した魂は
そんなところには いない
ひきつった 皮ふの乙女たちの
限りない悲嘆は
そんなところには ありはしない。
『原爆野外詩展作品集』1961・8



 無言の証人         井上 義男
あの日の閃光は私だけにとどめ
街は傷跡さえありません
満身創痍の私は
時間の重みに耐えて
じっと無言で立っています
街は今平和のようです
日本も平和に酔っています
人々はすっかり原爆を忘れました
私は
観光の見せものとなりました
でも私は忘れません
文明で汚れた川の流れの底から
アスファルトの下の焼土の中から
骨のきしむ音と
哀しい子供の泣声を聴きます
決して鎮魂することのない
二十数万の人々の声を
私はヒロシマを知っています
私がじっとここに
立っている限り永劫に
私は無言で証明します
ヒロシマを証言し続けます
            『闇を駆ける』1969・10



  ドームを残せ                       須磨 玲二

「ドームを残せ!」
そうわしらはいいました。
ほいじゃが
なにもわしらは
あのまるいドームの格好がおもしろいけえ
よそのひとらがカメラをむけてとるような
そんなつもりでゆうたんじゃあなあで。
ほんまはのう
見るのもいやじゃった
誰でもええけえ
ダイナマイトでひとおもいにふっ飛ばしてくれりゃあええ
なんべんも そうおもうたもんじゃ。
わしらは なるべく あれを
見んようにくらしてきた
あのことを わしらは はよう忘れたかったけのう
皮がずるりむけてのう
うじ虫が這いずりまわってのう
どうしてか知らんが髪がごっそり抜けてのう
ほいで
腕のケロイドをかくすのに 夏でも長袖のシャツじゃけえ
ほいじゃが
シャツでかくせんケロイドはのう
へえから
耳鳴りじゃけえ 目まいじゃけえ
あれを見るたんびに
忘れかけたあのことをいやおうなしに
またおもいださされるんじゃ
ほいで
あれは いつのまにか わしらの心の中に
腰をすえてしもうた
ドームがわしらそのものになってしもうた
ほうじゃ
ドームが わしらのあのとき殺された
わしらの目の前でわしらが
どうすることもできんまま
死んでしもうた息子や娘の
墓標じゃおもうことにした
んよ 墓標じゃおもうよう
にの
ほいじゃが そうおもうてみてものう
わしらはそれですんでものう
殺された息子や娘が それで浮かばりゃせんしのう
どんとにおもやあ どんとにすりゃあ
あれらが浮かばれるか
あのとき まだこまかった こまかったまんま死んでしもうた
あれらが どっかで いつもわしらを
じいっと 見とるようでのう
そりょおおもうたら まだ死なれんおもうんよ
まだ わしらあ あれらのために
なんにも まだ しとっちりゃあせん
あれを わしらの上に落したんも
まちがいなしにアメリカじゃ
なんの罪もない わしらの子を殺したのも
まちがいなしにアメリカじゃ
ほいならドームは
ドームは
アメリカのあのことの 証拠じゃ
証拠じゃ 大量虐殺の証拠じゃ
わしらの子が わしらに残してくれた
あの子らを殺した あの子らのうらみの
証拠じゃ あの子らのねがいの証し
「ドームを残せ」
わしらは いいました
                  「組詩ヒロシマ」67・8



 燈籠ながし          小園 愛子
ぴかり ぴかり
ぽっかり ぽっかり
あおいとうろう
あかいとうろう
ゆうらり ゆらり
ながれていくの
とおいところへ
ながれていくの
十万おくどへ
ながれていくの
いくつも いくつも
百も千も万も
もっとたくさん
つづいてながれて
いくのね
それはね
とおいとおいむかしなの
おそろしいげんばくが
おちたの ひろしまへ
そして一ぱい一ぱい
そのかわで
しんでしまったの
その人たちが きょうは
十万おくどからひろしまへ
あいにきたの
あかい火をとぼしながら
あおい火をとぼしながら
あんなおそろしい
げんばくなんか
もう
おとさないように
いつまでも へいわに
ひろしまをまもろうよ
日本をまもろうよ
せかいをまもろうよ
うちゅうをまもろうよ
なみにゆられて
とおいむかしをおもい出して
ささやいてるの
ぴかり ぴかり
ぽっかり ぽっかり
あかいとうろう
あおいとうろう
ゆうらり ゆらり
ながれていくの
とおいところへ
ながれていくの
十万おくどへ
ながれていくの
いくつも
いくつも
百も千も万も
もっとたくさん
つづいてながれて
いくのね
        「ひろしまの河」8 1963・8




  (序詩) 原爆を作る人々に ──抄
原爆を作る人々よ!
暫し手を休め 目をとじ給え
もしもあなたの国で実験されたら……
やはりあなた方は私達を笑うだろうか。
父母も姉妹も そして親しい友も
実験用のモルモット以上に
生命を粗末にされ残酷な死をとげた
あの原爆が 永遠の平和の警鐘なら、
人類の礎と むやみに嘆かないけど
何故に依然と その手を休めず
昨日よりは今日 今日よりは明日と
全人類の破滅へ急テンポに進むのだ。
原爆を作る人々よ!
今こそ ためらうことなく
手の中にある一切を放棄するのだ。
そこに始めて 真の平和が生まれ
人間は人間として蘇ることが出来るのだ。
                 (福田須磨子)



 死者への問いかけ     大島 久徴
炎にあぶられ焼かれて
三倍にもふくれあがって死んでいった
二十万の人たちよ
あななたちのために
ぼくたちは何をしたらよいのだろう?
沈痛な音楽を奏し
花束の山をつくってみたところで
それが何になろう
ひざまずいて祈ることを
もはやぼくたちは知らぬ
いまになって
ぼくたちが幾度も不正を許したことを
悔やんでみても
取り返しのつくことではない
誰もが
あなたたちのことを想い出したがらなくなっている時に
あなたたちのために
ぼくたちは何をしたらよいのだろう?
もうどんな声も
祈りも謝罪も
あなたたちに伝わりはしない
そして
告発することも
許すことだって
あなたたちにはできないことなのだ
ぼくたちにだって
いまとなってはあなたたちに本当は何をすることもできはしない 
生き残ったぼくたちにできることと
いったら
ぼくたちのことを考えるというけちなことしかない
(あなたたちとのあいだの関係とは何か? 日々のなかで忘れられてゆく思い出)
あなたたち
いまは永久に((永久に)とはどのような試みでももはやこの地上では交わりを持てぬということだが)死んでしまっている
二十万の人たちよ
あなたたちのために
いったいぼくたちは何をすべきなのか?
                                  『叫び』1963・11


  灰が降る
          三好 達治
灰が降る灰が降る
成層圏から灰が降る
灰が降る灰が降る
世界一列灰が降る
北極熊もペンギンも
椰子も菫も鶯も
知らぬが仏でいるうちに
世界一列店だてだ
一つの胡桃をわけあって
彼らが何をするだろう
死の総計の灰をまく
とんだ花咲爺さんだ
蛍いっぴき飛ぶでなく
いっそさっぱりするだろか
学校という学校が
それから休みになるだろう
銀行の窓こじあける
ギャングもいなくなるだろう
それから六千五百年
地球はぐっすり寝るだろう
それから六万五千年
それでも地球は寝てるだろう
小さな胡桃をとりあって
彼らが何をしただろう
お月さまが
囁いた
昔々あの星に
利口な猿が住んでいた
              「死の灰詩集」54・10