「構成詩劇」
核、ゲンバクって?
構成・演出 三條三輪
虹企画/ぐるうぷ・しゆら上演台本
原子と人間 湯川 秀樹 1949・5月
(さざ波、せせらぎの様なBM)
人間はまだ この世に生れていなかった
アミーバもまだ 見えなかった
原子は しかし すでに そこに あった
スイソ原子も あったし
ウラン原子も あった
原子は いつ できたのか
どこで どうして できたのか
だれも 知らない
とにかく そこには 原子が あった
原子は たえず 動きまわっていた
ながい ながい 時間が 経過していった
スイソ原子と サンソ原子が ぶつかって 水が できた
岩が できた
土が できた
原子が たくさん 集まって ふくざつな 分子が できた
いつのまにか アミーバが 動きだした
しまいには 人間さえも 生まれてきた
人間はしかし まだ 原子を知らなかった
人間の目には 見えなかったからである
ながい時間が 経過した
人間は ゆっくり ゆっくりと 未開時代から脱却しつつあった
ある 少数の天才のあたまのなかに「原子」のすがたが うかんだ
人々が 原子について 想像を たくましくした時代が あった
錬金術に うき身を やつす時代もあった
そうこうするうちに また 二千年に近い歳月が ながれ
「科学者」と よばれる人たちが つぎつぎと登場してきた
原子の姿が きゅうに はっきりしてきた
それが どんなに ちいさなものであるか
それが どんなに はやく 動きまわっているか
どれだけ ちがった顔の原子が あるか
かれらは 断言した
原子は永遠に その姿を かえないものだ
そして それは 分割できないものだ」
やがて 十九世紀も おわろうとしていた
このとき科学者は あやまりに 気づいた
ウラン原子が じょじょに こわれつつ あることを 知ったのだ
人間のいなかった昔から すこしずつ こわれつづけていたのだ
壊れたウランから ラジウムができたのだ
原子はさらに 分割できる事を知ったのだ
電子と 原子核に 再分割できるのだ
やがて 二十世紀が おとずれた
科学者はなんども 驚かねばならなかった
なんども 反省せねば ならなかった
原子の ほんとうの姿は 人間の心に描かれていたのとは すっかり 違っていた
科学者の努力は しかしむだではなかった
「原子とは何か」という問に こんどこそまちがいのない答えができるようになった
「原子核は さらに 分割できるか
それが 人間の力で できるか」
これが 残された問題であった
この最後の問に対する答は 何であったか
「然り」と 科学者が 答えるときが きた
実験室の かたすみで 原子核が 破壊されただけではなかった
ついに 原子バクダンがさくれつしたのだ
ついに 原子と人間とが 直面することになったのだ
巨大な原子力が 人間の手にはいったのだ
「少年少女の広場」1949・5
女の子 原子爆弾てどんな爆弾なのですか?
学者 原子の中心の原子核が、ウランやプルトニウム原子の原子核に中性子をあて、人工的に壊すと、大量のエネルギーが放出されます。原子核がこわれる「核分裂」がごく短い時間に次々と広がると、瞬間的に非常に強大なエネルギーを生みだします。このエネルギーを兵器として利用したのが原子爆弾(原爆)です。
核分裂を連続して起こさせるためには、ある一定量(臨界量)以上の核分裂物質が必要になります。広島に投下された原爆には、核分裂物質としてウラン235が使われました。このウラン235を2つの塊に分けておき、爆薬を使って塊をぶつけ合わせることにより、百万分の1秒という極めて短い時間に核分裂が連続して起こり、膨大なエネルギーが一度に放出されます。爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線が放出されるとともに、周囲の空気がものすごい力で膨張して、衝撃波が発生し、その後、強烈な爆風が吹き抜けるでしょう。そのエネルギーはTNT火薬に換算すると、広島型で約1万五千トンに相当すると考えられています。又、摂氏三千、四千度の高熱で、勿論衣服はとけ、皮膚は殆ど、火傷で炭の様に焼けはがれてぶら下がり、ひどいかわきで水を水をと苦しみながら死に至ります。
女の子 放射線て、害をするのですか?
学者 人間の皮膚を透過して、殊に血を作る臓器や生殖腺にとどまって破壊します。それが原爆症として被爆者を永く苦しめます。
第二次世界大戦前後、1939年8月2日、「ソウタイセイゲンリ」の大科学者、アルバート・アインシュタインは、ルーズベルト大統領にあてた化学者達からの手紙に署名しました。(当時アインシュタインはじめ、ドイツの何人もの化学者達は、ナチスのユダヤ人迫害を逃れてアメリカにいたのです。)
手紙の内容は。「ナチの科学者は核分裂を発見したらしい。彼らはやがて核エネルギーを使って、港と周辺を一挙に破壊する強力な新型爆弾を作ることが心配されます。こちらも原爆の開発を急いで下さい。」
アインシュタイン大科学者の署名は重く受けとめられ、大統領は言った。
「ナチの奴らは我々を吹きとばそうとしているのか。これは行動を要する。」
そして──
「1942年 名高い〝マンハッタン計画〟、アメリカ、原爆投下作戦がスタートした。総司令官レスリー・グローブズ大将。ロス・アラモスに一つの市街を形成する広大な秘密工場には、オッペンハイマー博士ら核物理学のトップ科学者達、アメリカ軍需工業大資本が結集、数億ドル、数千人の物的人的資源がすべてに優先して惜しげもなく投入された。これは、陸軍総司令官、アーノルド元帥、マーシャル参謀総長ら、数名の軍首脳部だけが知るトップシークレットそして、その進行状況は、後のトルーマン大統領さえ知ることが出来なかった。」
「太平洋戦争の終わり近い一九四五年、…昭和二十年夏 サイパン、テニヤン島、硫黄島玉砕、沖縄陥落、それらの島々の基地から飛び立つB29の大編隊は、昼も夜も、すでに敗北の色濃い日本の空を襲いつづけていた。」
「スチムソン陸軍長官は、原爆の完成と使用を強く望んだ。『日本がこのまま投降しない場合、米陸軍は、一九四五年十一月、九十九里浜、湘南海岸から日本本土上陸作戦を敢行するが、その際のわが方の死傷者は、百万と推定される。戦争を早く終らせ、わが将兵の多数の生命を救うため、原子爆弾が必要なのだ。』──」
「一九四四年、原爆投下実行部隊として、二千名の将兵から成る第五〇九混成飛行部隊編成。隊長は、ミスターB29の異名を持つ、ヴェテランパイロット、ポール・W・ティベッツ大佐、現地総指揮官、太平洋地域戦略航空部隊司令官、カール・スパッツ将軍。作戦リーダーは、日本縦断、焼夷弾爆撃の立案実行者第二〇航空隊司令官、カーチス・E・ルメイ大将。原爆設計、B29改造、投下訓練……作戦は、隊員達さえ何一つ知らされないうちに着々と進んだ。」
「投下候補地は、京都、ヒロシマ、ナガサキ、コクラ、ニイガタ、後、京都は、スチムソン長官の強い反対で除かれた。
アーノルド元帥は、原爆効果の完全な観察のため、それらの都市への攻撃中止を命令。ルメイ将軍とティベッツ大佐は、気象条件がよく、南北に指をひろげるように川が流れて、目標を定めよいヒロシマを第一候補にえらんだ。
昭和二十年 七月 十六日 ニューメキシコ砂漠での原爆実験成功。報告は、直ちにトルーマン大統領にとんだ。あとは大統領の許可一つ──」
「その時トルーマンはドイツポツダムにあって、ソ連スターリン首相、イギリスチャーチル首相と、戦後処理、日本打倒を会議中だった。夕食会の席上スターリン首相が言った。『ソ連は近く日本に宣戦を布告するでしょう。東京での次の会合のために乾杯!』すかさず同席していたアーノルド元帥が答えた。『B29がこのまま爆撃をつづければ、東京にはもう、会合する場所も残っていないでしょう。』
「ソ連の参戦は、戦争の早期終結をのぞむ連合軍にとってはよろこばしいことだった。しかし、もし、強力なソ連軍が、満州朝鮮をおとし、一気に北海道まで占領したなら、戦後の極東支配はどうなるか。……日本に降伏を促すポツダム宣言は、面目のため本土決戦を唱える日本軍部によって拒否された。一刻も早く、アメリカの手で。ソ連でなくアメリカの力で日本を屈伏させなければならない。……同じ西側のチャーチル首相も賛成した。
トルーマン大統領は決断する。「戦争を一刻も早く終らせわが将兵の多くの生命を救うために、私は原子爆弾の使用を許可する。」
これがヒロシマへの死刑宣告であった。
史上第一号の原爆機、エノーラ・ゲイ。機長ポール・ティベッツ大佐。エノーラ・ゲイ とは彼の母の名。あの日の午後二時四十五分、機種観測機につづいて只一機、テニヤン基地を飛び立った。偵察機に見せるための、ルメイ将軍の作戦だった。
それは はなばなしい出発だった。四方八方から煌々とアーク燈、ムービーカメラ、フラッシュ、又フラッシュ。史上初の 一大記録を後世に残そうというのだ。ハリウッドのスタジオだ。いや、大スーパーマーケットのオープンだ。カーニバルだ!
彼らのターゲット、ヒロシマの空は、残酷にも美しく晴れわたっていた。一人のナビゲーターは記録している。『雲の層がまっ赤な朝焼けを照り返し、見たこともない素晴しい日の出だった。』気象観測機長、クロード・イーザリー少佐から報告が入った。『ヒロシマ上空 雲量3、気候よし、投下せよ!』八時十五分、エノーラ・ゲイは正確に 相生橋上 高度五千メートル、 投下! 四トンの重い荷物のなくなった機体は激しくゆれ、ティベッツ大佐は右一五五度フルスピードターン。爆発から逃れた。「来るぞ!」閃光がコクピットに走り、バリバリバリン、 機の横原に、八十八ミリキャノン砲が当たったような、衝撃波。それが地面にハネ返ってもう一度! その瞬間、キノコ雲が 物凄いスピードで沸き上がり、彼らの高度まで迫って来た。白、黒、灰色 の まぜこぜ、 これまで見たどんな暴風より激しく煮えたぎり、うねり、沸とうしていた。静まっていた街も、今は浮き上がり、煮えたぎる紫色の泥、コール・タールのようなものに包まれ、煙の中に、もの凄い赤い炎が 荒れ狂い、うねり、煮えたぎっていた。『おゝゴッド、神よ!』誰かが叫んだ。ティベッツ自身も言う。『それは、我々にも、恐らく、これを作った者にとっても、想像を絶した悪夢だった。こんな、人類を絶滅させ、地球の皮を引きむく程、烈しいものになるとは!』
爆発地点、地上五百七十メートル、その中心推定温度三十万度、鉄も一瞬に溶ける四千度の熱線、コンクリートを潰し、ガラスの嵐を作る爆風、骨髄に突き刺さる、γ線、β線、中性子線。
死者十四万七千、行方不明一万四千百、負傷者三万八千
広島の瓦礫の三里四方
白骨と煉瓦くずをならして
三尺ばかり高くなった
「原爆攻撃成功 原爆攻撃成功!
トルーマン大統領は椅子からとび上がって叫ぶ。
『歴史上最も偉大な出来事だ! さあ家に帰る時が来た!』」
「テニアン基地は沸き立った。」
全隊員が迎える中、降り立ったティベッツ大佐の胸には、スパッツ将軍自らの手で功労十字章がつけられた。
拍手、歓声、握手、握手、握手、氷だ、ビールだ、コーヒーだ。将軍も兵隊も、誰彼なくウイスキーをラッパのみだ。」
