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731の幻想

ファシズムの影 2020公演より

ファシストめ‼ 2020公演より

(劇評家にもの申す)

コロナの里新宿にお運びいただきましてありがとうございました。
        虹企画/ぐるうぷ・しゆら
                跡見梵
 一九五三年一月、「真空地帯」(野間宏原作、鈴木政男脚色、下村正夫演出)を飛行館ホールで初演。新宿劇場(新宿コマこけら落とし)で再演。さらに……。兵隊製造工場──内務班、野間宏実体験小説の舞台は多くの人に熱狂的に受け入れられた。下村正夫は、この作品の演出により第六回毎日演劇賞を受賞した。
 二十数年たち七十年代、劇団芸術劇場で上演。僕は芝居始めて2年目か3年目、坊主頭を意気に感じ、用水兵長。野間宏さんご案内書生よろしく買って出て、俳優座劇場玄関から第一楽屋までご案内、大きな体の方だ、さすが第一人者、とひとり感動。大阪弁に多少苦労したが、女の子から好評で気をよくした公演でもあった。
 父が見に来た、ぽつりと「兵隊さんの芝居好きなのか」……。その言葉が気になった。妻を千葉銚子の空襲で亡くしていた。おぶいひもに守られ背中の乳飲み子は生き残った。館山連隊に再招集された父を追うため銚子駅に、空襲警報鳴り渡り焼夷弾攻撃、そしてグラマンの機銃掃射──
 「真空地帯」私の父の言葉、二十数年の隔たりを思い、考えるとき、「731の幻想」六回目の公演、初演から三十八年は何だったんだろう?
 俳優としては、思い入れは極力排した。重要なところを際立たせるために、必要なところ以外モノトナスに飛ばした。三條は二役受け持った。僕は演出補佐として三條に注文した。証人として出てくる三十数年経ってのシーン、ちょっと工夫お願いします。だったのですが、僕は三條の女優としての楽しい演技を堪能、それを支える編集員にも喝采をおくったものだ。僕も名女優を得て演出家になれるかなあと心の中で喝采。
 見てくださったお客様から多くのお便りをいただきました。そのいくつかををご紹介させていただきます。
 サスペンスでしょ、面白かった! フェイドアウトの所汽車でつないでいたところ良かった! 
 大変面白かった。推理ドラマの形式をとりながら、731の隊員の気持ちがよく描かれている。国家、戦争の非情さがよく出ていた。
 すばらしかった‼ 観劇の会に入ってますが、今まで(百回くらい)の中でいちばんよかった。
 あっという間の3時間でした。全員が主演者だと感じました。葛藤する久保田医師、それに対峙する大田黒医師の濃淡に富む息を飲む会話の進行、西野教授のキャラが見え隠れし、メリハリのある場面の移り変わり、人間の醜さ、弱さ、崇高さ、複雑さが見事に現出されていたと思います。またメディア編集局のデスクの皆さんの演技もすごく印象に残りました。しかしなんと言ってもお歳を超越した三條三輪さんの溌溂としたオーラには感動しました。なんとしてでもこの歴史的事実を舞台と言う媒体を通し、世に発信したいと言う、その強い意思をあの柔和な表情の中に凛と感じました。





731の幻想

Sp. 
(久保
田) 静かだなあ。この実験室が、基地のどまん中だな んて、とても思えない‥‥
(大田黒) 嵐の前だ。文字通り。台風はやっぱり伊豆半島に上陸するらしい。横浜も圏内だからな。
(久保田) 今、1954年、昭和二九年か―― 太平洋戦争が終って九年もたってるのに――もっとも、朝鮮じゃ戦争のまっ最中だが――
(太田黒) いや、一応終わってみんな息も絶え絶えってところらしいぜ。
(久保田) しかし、俺たちがこんな研究を、こんなところで続けていることを、日本人の殆どが知らされていないんだからなあ。知ったら、何というかなあ。
(大田黒) 日本の奴らなんか何も知りゃしないよ、知ったって‥‥   
(久保田) 大田黒!  汽車の音が聞こえないか!  窓という窓、全部のブラインドをおろしたまっ黒な列車だ。満州の広野を走る、まっ黒な列車の音だ。
(大田黒) 風の音だよ。台風いよいよやって来たな。いそがないとビショぬれだ。宿舎まで百メートルは歩かなきゃならん。とにかく、今夜は帰ろう。
(久保田) さあ。俺は、帰れるかな。
(大田黒) 久保田‥‥
汽車     
(久保田) 聞える‥‥黒い列車だ。憲兵が拳銃をかまえて守っている。あのまっ黒な列車が、ハルビン駅に入って行くんだ‥‥

F.O.              溶暗
ハルビン駅      避難する人々のざわめき、どよめき、
ざわめき
汽車      声    汽車が来たぞ!
声    早く乗れ!
声    ソ連軍が来るわ!  乗せて下さい!
声    汽車だ!  汽車だ。
Sp.
拳銃     
(憲兵) (拳銃をうつ)寄るな!  民間人は乗ってはならん!  行け!  行け!

Sp.O.
マチ子の泣き声   女の子    ワーッお父ちゃん!  お父ちゃん!
Sp.  
(曽紹芹)    私は、現在の名を曽紹芹といい、日本の中国残留孤児です。一九四五年――終戦直前の、昭和二十年八月十日の朝、ハルビン駅のホームで泣いているのを中国人の小父さんに拾われたのだそうです。おそらく、参戦したソ連軍が攻めて来て、日本人たちが避難する時に、肉親からはぐれてしまったのだろうと思います。私のかすかな記憶では、お母さんは、かつ子か、或は、たつ子とかいった名前だったと思いますが、はっきりしたことはわかりません。朝、眠っている所をお母さんに起されて、手を引かれながら乗りものにのりました。ソ連軍から攻撃されたらしく、私たちが住んでいた所から、どかん、どかん、という爆発音が聞え、すごい火柱が立っていました。私の住んでいた家のことを、もっと詳しく思い出そうとするのですが、記憶が殆んどなくて、じれったく、口惜しくなります。‥‥

拾ってくれたおじさんの話では、その時、私は三才か四才くらいで、ハルビン神社のお守りを首にかけ、クボタ・マチコ。汽車に乗ってお母さんと来た、と泣きながら答えたそうです。着ていた洋服が、ほかの日本人の子供たちよりも大分上等だったそうで、おじさんはよく、お前は日本人の金持ちの子だよといっていました。
お父さんはやさしい人で、とても可愛がってもらったことをおぼろげに記憶していますが、顔は全然覚えていないのです。只、よく、白い服を着ていて、いやなにおいがしていたので、抱かれるのをいやがって泣いた覚えがあります。
近所にケンちゃんという、二つか三つ年上の男の子がいて、よく遊んだことを覚えています。私を育ててくれたおじさんは、超志有といい、ハルビンで食堂をやっていました。おじさんは私を養女にしてお店を手伝わせました。私が日本人の子であることを知らされたのは十一才の時で、その時から、本当のお父さんとお母さんに会いたくて、食堂のすみっこでソッと名前をよんで泣きました。
私が十六才の時に、おじさんは、私を同じ食堂をやっている友達にあづけてどこかに行って帰って来ませんでした。今になって当時のことを、もっと詳しくきいておけばよかったと残念です。何だか遠慮できけなくて‥‥
新しい養父母の曽夫婦には、三人の子供がいて、生活も楽ではなかったのですが、女の子がいなかったので、お店の手伝いに私を引き取ったのです。ここでずい分働かされました。私が十九才になった時長男の曽志有と結婚させられ、現在五人の子供が居ります。でも、日中国交回復後は、日本の肉親に会いたい思いがつのるばかりで、この手紙を書きました。どうか私の肉親を探して下さい。そして、自分が誰なのか、わからせて下さい。おねがいします。おねがいです。
私の右眉の上には、二センチ程の長さの傷あとがあります。  何かの証拠になるかもしれませんので書いておきます。
1978年2月、黒竜江省、ハルビン市、
曽紹芹。      クボタ・マチコ   
Sp.O.
Sp.
編集室   
(檜山)    (原稿をよむ)われわれの週刊誌が中国残留孤児の肉親探しの特集を企画したのは、今年、昭和五十四年の一月であった。  厚生省の調べでは残留孤児の数は四千人以上といわれ、今も肉親との再開を夢みながら暮している。この人達にとっては、戦後はまだ終っていないといえよう。われわれはそのうちの一人、即ちこの曽紹芹さんをとりあげ、肉親と再会するまでの経過を連載することにした。この記事が、読者にわずかでも中国残留孤児への関心をかき立てることが出来、やがて、この問題がテレビや新聞に大きくとり上げられ、いつか全部の孤児が肉親に再会出きることを深く望みたい。われわれはこの企画のため、新進気鋭の記者岡野君と、私、檜山をキャップとするチームを組んだ。

                    昭和54年1月  檜山良昭
                                                               
731の幻想
原作=檜山良昭、台本・演出=三條三輪 上演台本導入部





731の幻想──テアトロ批評

虹企画・ぐるうぶしゆらの『731の幻想』(原作=檜山良昭、台本・演出=三條三輪)は、1978年に『小説現代』11月号、12月号に連載されて大反響を呼んだ檜山良昭の『細菌部隊の医師を追え』の脚色上演である。原作の見事な脚色で、日本による中国大陸侵略史の暗部にメスをいれる迫力満点の推理劇である。
中国に残っている日本孤児たちの数は、少なく見積もっても2500人といわれる。その大半が、日本にいる肉親との再会を願っている。ある週刊誌が、中国残留孤児の肉親探しの特集を企画する。厚生省に届いた中国残留孤児・曽紹芹の肉親探しの手紙をもとに、残留孤児が肉親に再会するまでの経過を雑誌に連載するため、編集長檜山良昭(林優良)をトップとする敏腕記者(黒澤安和)、女性記者(高木純子)の取材チームが結成される・満州ハルピン駅で彼女が日本人の肉親とはぐれた日時に、異様な列車が窓のブラインドを全部おろし、通過していった。列車は731細菌部隊の人びとを運んでいたという。彼女の肉親がその部隊の関係者であるということから、現在も秘されている細菌部隊の全貌が明らかにされていく。多くの捕虜を犠牲にした生体実験や人体実験をほしいままにして細菌兵器を開発した部隊の関係者は、戦後いち早くアメリカに保護される。かれらの研究成果が利用され、朝鮮戦争でも使われた。迷宮入りの帝銀事件の真犯人も、かれらの一人とみなされている。
戦争犯罪の告発劇にしないで、「戦争(七三一)というるつぼに投げこまれた普通の人々が、どう生き、どう死に、どう愛したか、がテーマです」と書く三條三輪の脚色・演出に応えて、多士済々の俳優人が抑制した演技で好舞台を作る。細菌研究に挺身しながら、非人道的な実験を悔いる良心の痛みをもつ医師、細菌学者の久保田博文役の跡見梵、久保田の指導教授で部隊の幹部の西野政三役の森奈美守が、陰影に富む役柄で楽しませる。
やむなく自殺した育ての親、久保田博文を「許せない!」、生き残って真実を告白せよ!という曽紹芹(三條三輪)の終幕の独白が、余韻をもって痛切に響く。
                                      
(11月29日、高田馬場・アートボックスホール)。

731医師の苦悩と愛

731医師の苦悩と愛
       跡見 梵 (テアトロ2019、9月号 夏のエッセイ)

「731の幻想」初演を思い出す。(檜山良昭原作、三條三輪脚色演出)台本書きあがったのは公演ひと月前。手分けしてガリ切り、謄写版印刷。その台本は厚く、重かった。ほぼ四時間の長さだった。俳優教室の子たち(半年前に入所)が多く参加。稽古進む。台本は切った貼ったで毎日どんどん変更された、本番直前まで。なんとか三時間以内に収まった。-茨木のり子長編詩「りゅうりぇんれんの物語」も同時に上演したので四時間近くの公演だった。

脚色演出の三條三輪は「3・10東京大空襲」「あの雲は消えても」「東洋鬼」等、戦争鎮魂曲シリーズとして多くの構成詩劇を手掛け上演した。中でも「3・10東京大空襲」は十年間連続の企画公演、東京労演で取り上げてくれたり、「天声人語」に載ったり、デビット・コンデさんが国連に報告してくれたり、多くの感動を呼んだ。「あの雲は消えても」は原爆もの。「東洋鬼」は帝国日本の大陸進出「三光作戦」──焼き尽くし、奪いつくし、殺しつくす──を描いた作品。この作品のなかでチラッと出てきた看護婦の証言、生体実験、……「生きた人間を実験材料に……」ほんのちょっとのシーンだが、まさか??? 「東洋鬼」は加害者を描いた意義ある作品である。
「731の幻想」──細菌部隊の医師を追え──ある週刊誌が中国残留孤児の肉親捜しの特集を企画した。(編集長役は某出版社編集部に勤める池上君。三人の編集部員は新人ながら個性が色々あって。芝居を上手く運ぶ潤滑剤。)
厚生省に届いていた曾紹芹(中国残留孤児)の一通の手紙に注目、捜索することになる。ソ連参戦八月九日、八月十日ハルビン駅、引き上げ特別列車。細菌戦731部隊関係者であることが浮かび上がった。次第に姿をあらわす731の秘密、人体実験、細菌兵器。血のメスをにぎる白衣の人は怪物? やさしい父親? 
再演の記憶。先輩の石坂重二さんが相手役「太田黒」、僕は医師として悩み苦しむ「久保田」。二人は満州医大の同級生。追い詰められていく僕に対して石坂さんは小気味よく台詞を返してくる。あざけりだったり、とぼけだったっり、言い訳だったり、ねたみだったり、……。下手な僕相手に絡んでくれた。僕のルーツ芸術劇場ではゴーリキー「どん底」の「役者」役で好評を得ていたが、先輩の演技を見て僕はショックを受けた。僕のセリフ一つ一つに有機的に反応し返してくる、さすが>。
妻かつ子役の垣内さんにも惚れた。けなげで、楚々として可愛い日本女性を演じてくれた。ソ連侵攻直前、731本部爆破破壊、別れのシーン、今でも妻の声が頭の中で──

かつ子  私、もし出来たら、大連でソッと降りて、さとへ帰ろうと思います。父はいつも、殺されても残る、といっていましたから。……マチコはハルビンでおろしてやりたいと思うんですけど。この国で生きて行けるように……あの子に玉砕はさせられませんわ。
久保田  頼む。昨日言った通り、俺は命令で牡丹江に行くから……
かつ子  あれを、お使いになるのですか。
久保田  知っていたのか。……恐らく使わないですむだろう。その前にこっちが……(妻の肩をグッとつかむ)もう、会えないかもしれない。元気で……
かつ子  いってらっしゃいませ。
久保田  ああ。……(歩き出す)
かつ子  あなた もし、生きていらしたら……
久保田  (振りむき、うなづいて笑い、去って行く。)
──必死に叫ぶ妻のあの声──あなた> もし、生きていらしたら……今も聞こえる、妻の……涙腺ゆるむ
生体実験に関わった731部隊の医師、加害者の苦悩と愛。
今時、真摯な人間の生き様を描いた芝居など芝居ではないと笑われると思うが、──愚かな戦争に強要されたある医師の苦しみと愛の舞台を今一度客席から見て見たいと思う。